ゲバラの手紙 ▼ カストロとの別れに書いたゲバラの手紙(日本語訳)ゲバラの手紙 チェ・ゲバラ記念霊廟

 チェ・ゲバラ記念霊廟 ・・ チェ・ゲバラが眠る場所・博物館/幼いときからの写真やカストロに宛てた手紙などが展示されている。 サンタ・クララ/キューバ革命の際エルネスト・ゲバラ少佐によって解放された都市。

  ◇エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928年6月14日アルゼンチン第二の都市・ロサリオ生れ/1967年10月9日ボリビア・イゲラ没) ブエノスアイレス大学医学部卒(1953年)南米各地を旅行するうち社会主義に目覚める、グアテマラで医師をしている時、女性活動家イルダ・ガデアと知り合い結婚。 その後ゲバラの暗殺司令が出され妻ガデアトと共にメキシコえ、1955年7月亡命中のフィデル・カストロと出会い、反バティスタ武装ゲリラ闘争へ参加を決意。 妻と娘のイルディーダ を残して1956年11月25日カストロをリーダーとする82名と共に、グランマ号に乗り込み、7日後キューバに上陸 (グランマ号上陸記念国立公園・写真)計画の内容が漏洩いていたため、 上陸直後に政府軍の攻撃を受け、生きて上陸できたのは12名のみ。上陸後シエラ・マエストラ山脈に潜伏、その後国内の反政府勢力と合流し徐々に増強されていった。 (モンカダ兵営襲撃・写真に備え、カストロとその同志たちが会議や準備を行った グレンヒータ・シボネイ・写真 は 革命の本当の意味でのスタート場所で女性戦士の部屋や武器を隠した井戸などがある。   ”全てはモンカダから始まった”と言われるようにキューバ革命は1953年7月26日カストロ率いる 反乱グループがサンティアゴ・デ・クーバーのモンカダ兵営を襲撃することにより始まる、目的は兵営を占領して、武器を奪い、ラジオを通じて 打倒バティスタ を全国民に呼びかけることであったが、三方から兵営を攻撃したが失敗、多くの同志たちが虐殺され、カストロら十数名は収監される、 その後自らが弁護士となり釈放される。 ) 当初軍医であったゲバラは闘争での状況を分析する冷静な判断力、その他あらゆるところで実力和発揮し、次第にリーダーとして認められるようになり、指揮権と少佐の階級を 与えられ名実ともにナンバー2となる。1958年12月29日革命の成功の基礎となったサンタ・クララ
(装甲車襲撃記念碑・写真)に突入首都ハバナえの道を開いた、1959年1月8日ハバナ へ入城キューバ革命が達成された。ゲバラは多くの功績によりキューバ市民権を与えられ新政府の閣僚となり、1959年7月15日(31歳)来日、トヨタ自動車をはじめ 多くの企業を見学。積極的に活動する中で1965年2月27日行われた「第二回アジア・アフリカ経済会議」でソビエト連邦の外交姿勢を非難し、キューバ政府はソビエト連邦からゲバラ追放の通告を受ける。 ゲバラはキューバ
の政治から退く事をきめ、カストロ・父母・子供達に宛てた手紙を残してキューバを離れる。と紹介されている。  

     
カルトロとの別れに書いたゲバラの手紙/日本語に訳された内容 チェ・ゲバラ



チェ・ゲバラ◇チェ・ゲバラ記念霊廟◇カルトロとの別れに書いたゲバラの手紙◇ゲバラ◇  ハバナ、農業の都市
 フィデル

 今この瞬間に、僕は多くのことを思い出している。マリア・アントニアの家で初めて君に逢った時のこと、僕と一緒

 に来ないかと誘ってくれたときのこと、そして準備を進めているときのあの緊張感の全てを。ある日、死んだ場合

  には、だれに報せたらよいか、と訊かれたことがあった。そしてそういう現実の可能性に、ぼくらはみな衝ちのま

  されてしまった。その後、ぼくらは、それがあり得たことで、革命においては---それが真の革命であれば---人

 は勝利を得るか死ぬかだということを学んだのだ。多くの同志が勝利にいたる道程で倒れてしまった。今日では

 あらゆることがさほど劇的には感じられないが、それはぼくらが成熟したからで、現実は繰り返されているのだ。

 僕はキューバ革命において、その地で僕に課せられた義務の一部を果たしたとおもう。で、君に、同志に、そして

 君の、いまは僕のものである国民に、別れを告げる。党指導部における地位、大臣の地位、少佐の位階、

 キューバ市民権を僕は公式に放棄する。法的にぼくをキューバに結びつけるものはもう何もない。といっても、辞

 令を出せばできるようには、あっさりと断ちきることのできぬ種類の絆は残るが。 過去をかえりると、革命勝利を

 不動のものとするために、僕は誠実かつ献身的にこれまで動いてきたと信じている。僕になんらかの誤りがあっ

  たとするなら、それはシエラ・マエストラの初期のころ、君にじゅうぶんな信頼を置かなかったことと、指導者並び

 に革命家としての君の資格をさほど早く理解しなかったことだ。僕は素晴らしい日々を生きてきたカリブの危機の

 輝かしくも苦しい日々に、君のかたわらにあって、我が国の国民であることを誇らしく感じたものだ。あのころの君

  よりも偉れた政治家なんていないだろう。そしてまた、僕は君に躊躇なく従い、君の考え方を身に着けぼくらが置

  かれていた 危険や原則を理解し評価したことを誇りにしている。いま世界のほかの国が、僕のささやかな力添え

 を望んでいる。君はキューバの責任者だからできないが、僕にはそれができる。別れの時がきてしまったのだ。

 喜びと悲しみの入りまじった気持で、こんなことをするのだ、と察してほしい。僕はこの地に、建設者としての希望

 のもっとも純粋なもの、そして僕がもっとも愛している人々を残していく・・・・また僕の息子のように受けられた

 国民からも去っていく、それは僕をとても悲しい気持ちにするのだが。僕は新しい戦場に、君が教えてくれた信念、

 わが国民の精神、もっとも神聖的な義務を遂行するという気持ちをたずさえて行こう、帝国主義のあるところなら

 どこでも戦うために、だ。それが僕を慰め、深い心の傷を癒してくれる。繰り返すが、これまで模範であったことか

 ら生ずる責任を除いて、キューバにおける一切の責任から解放されたことを言いたい。もし異国の空の下で最後

 の時を迎えるようなことがあれば、僕の最後の想いは、この国の人々に君に馳せるだろう。君のあたえてくれた教

 えやお手本に感謝したい。そして僕の行動を最後まで、それに忠実であるように努力するつもりだ。僕はわが革命

 の外交政策にいつだって自分を同化してきたし、これからもそうであり続けるだろう。どこにいようよも、僕はキュー

 バの革命家たる責任を自覚するだろう。そのように行動するだろう。僕は妻子には何も残さなかった。それを後悔

 するどころか、むしろ満足している。国家がかれらの必要とするものや教育をあたえてくれるだろうから、僕がかれ

 らのために求めるものは何もない。君やわが国民にいいたいことは尽きないのだが、その必要はないようだ。

 言葉は僕のいわんとすることを表現できないし、これ以上紙をよごすに値しない。永遠の勝利まで。祖国か死か。

 ありったけの革命的情熱をこめて君を抱擁する・

                                  チェ


  

▲ エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ

キューバ(中南米)・・・・・ カリブ海の島国、東に(ウィンドワード海峡)ハイチとドミニカ、南には(ケイマン海峡) ケイマン諸島と
ジャマイカ、北に(フロリダ海峡)アメリカ合衆国(フロリダ)と隣接する。

キューバ 人口 : 約1,124万人 首都 : ハバナ 言語 :スペイン語 面積 : 約110,922Km2(本州の約半分)
    
共和制(社会主義国) 宗教 :原則として自由 民族 : ヨーロッパ系25%混血50%アフリカ系25%、 北緯23度08分東経82度21分
       
   

2009.08

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